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SEOや趣味について徒然なるままに

記事の質を上げるには、記事の量をこなすしかない

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SEO上では、記事量も一つの目安となっていますが、フレッドアップデート以降は「記事質」を意識しないと検索エンジンに評価されない傾向があります。

 

ただ、一言に「質」といっても、オリジナルの文章を生み出すに至るまでには「数」が重要だと思っています。

 

記事の量産はNGですが、記事質を上げるためには結果的に「記事量」をこなすしかないのです。

 

◆まとめサイトでの「まとめ作成」は時間のムダ

DeNA社の騒動以来、より「まとめサイト」の検索順位が下がりつつあります。

 

上位表示されたままの「NAVER まとめ」に関しては「闇」を感じるものの、これには独自の見解があります。

 

「まとめサイトの先駆者だから」です。何の根拠も意味もありませんw

 

もし、まとめサイトのライティング(リライト・コピペ)でお小遣い稼ぎをされている人は、今すぐに「ブログ」か「レンサバ+WordPress」での記事量産をおすすめします。

 

僕は「まとめサイト」自体は否定していません。むしろ過去にも「2ちゃんねるまとめサイト」を個人でさらっと触っていただけに(触っていただけ)、まとめサイトを否定するということは、自分自身も否定することになるからですw

 

ただし、もし「もっと記事質の良い記事を書きたい」と考えている方が、某・クラウドワーカーソーシャルなどを通じて「ライター」と称して記事作成をしているならば、それは記事質向上のスキルには“遠回り”だというのが持論です。

 

NAVER まとめを含め、まとめサイトは「コピペ・リライト」と「個人的な感想」が主となる文章がほとんどです。

 

まとめサイトの上位化表示のからくりについては、「発リンクの多さ」と「インデックス数の多さ」、もちろん「被リンクの多さ」、そして「大量の記事量産」が関係していたのですが、今ではその恩恵もかなり下がっています。

 

僕がちょっとだけ見た某・キュレーションメディアのリアルタイムの数字は、いつも2000ぐらいは当たり前でした。2年ぐらい前の話です。

ただ、それは単純に「記事質」ではなく、「SEO」によるものでした。

 

ジグソーパズルのように「引用」でかためた記事は、倫理面などは後回しにして「スキル」が身につきません。

 

得られることといえば、ネットブラウジングの時間と少々の知識、そして少々の小銭なわけです。

 

もし、自分だけの文章でアフィリエイトを展開しようとするならば、儲けは考えずに「ブログ」や「レンサバ+WordPress」で“記事室にこだわりつつ”、“記事の量をこなしていく”ということしかありません。

 

ちなみに僕は、中学生のときには作文が書くことができかった男です。そんな人間でも、少々の知識やノウハウは、拙いながらも文章で伝えることができはじめました。

 

これは「量」をこなしたもの以外にないと思っています。

 

まとめサイトでは、自分の脳を回転させることができない=文章を生み出す機会が減るというのが、僕は「もったいない」と考えています。

 

 

◆記事の量をこなすためのコツ

もちろん、僕が人から“ほめられた文章”を必ず展開できているとは思っていません。むしろ、自分の知識の少なさ、表現力のなさに辟易とすることが多いです。

 

ですのでもちろん、まだまだ「修行中」だとも思っています。

 

そもそも、記事の量をこなすこと自体が「思考」なくしては不可能です。ただし、「思考」が習慣になると、記事量をこなすことが苦痛ではなくなります。

 

まるでピアノを演奏するかのような気分でキーボードを叩き出せば、間違いなく「ブログ中毒」になっている証拠ですw

 

個人的な「記事量をこなすコツ」は「思考」にあると信じています。

 

思考→発見→推論→調べる→自分の中で反論・整理→起承転結・序破急の構想→客観的な意見の抽出→客観的な意見に対しての反論→キャッチフレーズの引き→序章と結論(クロージング)を破綻させない→ニーズの引き出し→共感→文章化

 

これを頭で描いてから文章化すると、1000文字程度であれば10分程度で書き上げることができるようになります。

 

もちろん、ここで言っているのは「ライティングの早さ」ではありません。「記事量をこなす上でのコツ」です。

 

よくこういう発言をすると、「2000文字を30分以内で書いた文章なんて読みたくない」と言われますが、別に思いつきで文章を書くことはありません。

 

日頃、見たもの、読んだもの、体験したもの、他人が考えていること、TVでの芸能人の表情や発言、ドラマでのキャストの演技の方法など、全ての“推論”や“知識”を、“知恵”に変換していく作業から、「記事のライティング」の基礎とします。

 

ただし、これの弱点が「視野が狭くなる」ということです。文章を書くということには「自我」が必須なので、文章に主観性が出てくることは仕方がないことです。

 

それをいかに「客観性」で濁し、「俯瞰」で自分を見つめることができるかが、記事の量産+記事ネタの抽出につながる、というのが僕の考えです。

 

◆記事質は記事量をこなさければいけない理由

僕は文豪でもありませんし、アフィリエイトで蔵が建つほどのブログを持っているわけでもありません。むしろ貧乏です。誰か仕事ください。

 

ただ、「ノウハウ」だけは持っています。それを“する”か“しないか”は、各々の意志と金銭力、そして継続が求められます。

 

唯一僕が持っているのは「継続力」だけです。ただし、この「継続力」がなかなか維持できないという人が多いようです。

 

「毎日1記事」が、「2日に1記事」となり、その後は言うまでもなくでしょう。

 

「記事質」がついてこないのは、「記事量」による自分の文章への反省ができないこともあるでしょう。

 

僕もまだまだ記事量が足りないので、ひたすら「知識」を「知恵」に変換する作業から始め、そしてライティング=トライアンドエラーを繰り返してばかりです。

 

人を魅了する文章の書き手は「センス」や「才能」に左右されるのは間違いありません。

 

ただし、その「センス」に匹敵できるのが「継続力」だというのも僕の考えです。

 

豆腐メンタルであまり物事が続かない自分だからこそ、より実感していることですw

 

ちなみにこの「継続力」のモチベーションを維持するのが難しいという人が多いですが、文章を書くこと自体がいつか「楽しい」と思えるタイミングに差し掛かれば、その「継続力」は「習慣」にしかなりません。

 

つまり、ブログを書くこと=趣味になり、それがいつしか利益を生むことにつながります。

 

世の中には、ブログだけで数百万円稼ぐ人もいるようです。(サロンや情報商材は。僕は“悪”だと思っています)

 

いわば、現代の文豪となるからには、多少の見栄っ張りと記事量。これをこなさなければ、おそらく「記事質」と呼べるものには至らないと僕は考えます。

 

 

もちろん、人に褒められる文章を僕は書けません。

 

「面白くない」

 

そう感じる方がほとんどでしょう。ただそんな僕がモチベーションにしているのが、

 

一人でもオモロイと思ってくれたらええやん

 

ということです。

 

所詮、ブログは自己満足です。趣味です。息抜きです。

 

それを「強制」にして記事量をこなすことになれば、それはもはや「拷問」にしかならないと思うのは僕だけでしょうか?

 

結局、何事も楽しめるという姿勢が大事なんでしょう。

 

  • 人の批判は気にしない(僕は豆腐メンタルなので気にします)
  • 記事量をこなすためのモチベーションをみつける
  • 「思考」を習慣にする
  • 文章を書く前に、頭のなかで「構成」を作る(難しい場合は紙に書く)
  • インプット作業もする(読書しよう!)

 

日々是精進、僕もいつか「駄文」から開放される日がくるのでしょうか。